閑話休題

今日はfindについて考えるつもりだったのだけれど、findが他動詞である意味についてつらつらと考えていたら、自動詞と他動詞について気になってきたのでメモ。

自動詞と他動詞というものは日本人を悩ませる概念だと思う。

この区別がつけられなくて悩んでいる人って多い気がする。かくいう私もその一人で、いまだにあれ?ってなるのです。

基本的に動作の対象があれば、他動詞、なければ自動詞というのが一般的な区別だと思うのですが、日本人の考える対象と、英語ネイティブが考える対象の概念がかなり違うので混乱するんですよね。

この前までは、とりあえずその区別を、動詞が何か対象に対して影響を及ぼす場合を他動詞、そうでない場合を自動詞と考えていたんだけど、でもそれだけでは、hearやseeに代表される知覚動詞を説明できない。

そしてlistenやlookがなぜ自動詞なのかもそれに関連して説明できなくなる。

そこで今日思いついたのは、動詞のイメージ化による区別ということです。つまり、ある動詞が持っている動作のイメージを視覚化したときに、そこに対象が想起されているかどうかによって自動詞か他動詞かを区別しようというものです。

たとえば、seeならば何かを視覚によって受け取るという意味なので、眼→対象というイメージを描くことができます。

そしてそれと対応するlookについてですが、これはおそらく単に眼を見開くというイメージしかありません。そこに対象はないわけです。(lookが第二文型の「~のように見える」という意味で用いられるときも結局はこのイメージが元になっていると考えられますが、それはもう少し別の話になるので今回は触れません)したがって、lookは自動詞であり、atやintoによって方向付けがなされない限り、「何かを見る」という意味にならないのかと考えられます。

実を言えば、findもこの考え方をしないと、完全な理解はできないのではないかというのが私の考えです。

それについては次の投稿で考えたいと思います。

無題

昨日は三日目にして早くも脱落してしまった。

今日のお題はfindとdiscoverの違い。あるいは、findという語の特殊性について。

 

この二つの語は「見つける」という訳語でおなじみだと思う。

だがこの二つの意味するところはまったく違う。特にfindは日本語ではなかなかわかりにくい動作を意味する言葉なのではないかというのが私の印象だ。

まずはわかりやすいdiscoverから見てみよう。

オックスフォード現代英英辞典第七版によれば、discoverの定義は次のようである。

1. to be the first person to become aware that a particular place or thing exists

2. to find sb/sth that was hidden or that you did not expect to find

以下略

これからわかるのは、discoverは存在することすら知られていなかったものが偶然見つかるというニュアンスを持つということだ。そして次の例文が示すように、discoverには偶然性だけでなく、何かを見つけ出そうとする意志を持った行動を伴っている。

Scientists around the world are working to discover a cure for AIDs.

何かを見出そうと頑張った結果思いもよらないものが出てくるという、意志と偶然の出会いが含意されていると言えるかもしれない。

とまあここまで書いたところでエネルギー切れ。

findについてはまた明日。

二日目

今日は目が痙攣しだすという、私の中の疲労度警告ラインを超えてしまったので簡単に。

先日読んだ本について。

私は某ラジオ番組のタマフルの大ファンなのですが、先日の推薦図書特集で取り上げられていた本をついに読むことができました。

映画監督塩田明彦の『映画術―その演出はなぜ心をつかむのか』(イースト・プレス)という本です。

恥ずかしながら、塩田監督の映画はただの一本も見た事がなく、しかも本で取り上げられている映画も特に見た事がないという体たらくな状態で読んだのですが、本当にすごい一冊でした。

読んでいるだけでここまで頭が沸騰する感じを覚えたのはここ十年くらい絶えてなかったのではないかと思います。

読んでいる間中、頭の中が「すごいすごいすごいすごいすごい(エンドレス)」とぐらぐらしてました。

私は基本的に「すごい」とか「面白い」、「泣ける」といった印象の元となった具体を語るのがとてもへたくそで、それができる人に畏敬の念を感じるのですが、塩田監督はその最高峰ではないでしょうか。

自分が世界から無意識に受け取っているものをこんな風に語ることができるのだと、新たな可能性を見せてもらった気がします。

いつかこんな風に語ってみたい。の割に「すごい」しか言ってないけど。

とりあえず、自分のすることをしなければ。

そして絶対に近いうちに塩田監督の「害虫」と、ヒッチコックの「サイコ」は見よう。そうしよう。

 

はじめましてのブログ

ブログ始めてみました。

うわあなんかどきどきする。

何事も続かないことが多いからこのブログも続くかわかんないけどとりあえず始めてみましょ。

最近書いておかないとすぐ忘れてしまうので備忘録としても機能させたいところです。

テーマとしてはとりあえず英語について、それから日ごろ見たドラマ、映画、演劇などについて思ったことを書きつづれたらいいなと思います。

 

先ほど、ネットに落ちていたラジオを聞いてて嫉妬心の話題が出てました。高僧が修行を重ね、煩悩を1つずつ取り除いていって最後の最後まで残っていたのが嫉妬心だそうです。

最初の投稿がそれなのもどうかと思うけど、英語のjealousyとenvyってどう違うのか気になり始めたので、考えてみようと思います。

残念ながらOEDなんてごっついものはもっていないので、手持ちの電子辞書に入っている辞書で見てみると

基本的に次のことは言えるかと思います。

すなわち、

jealousyは三角関係

envyは二者関係

jealousyが誰かの持っているものを欲しいという感情だとしたら、envyはもはやその誰かに成り替わりたいと言う欲望という感じでしょうか。

『オックスフォード現代英英辞典』第七版によれば、

jealous 

1. feeling angry or unhappy because sb you like or love is showing interest in sb else

2.feeling angry or unhappy because you wish you had sth that sb else has

3. wanting to keep or protect sth that you have because it makes you feel proud

 

envious

wanting to be in the same situation as sb else; wanting sth that sb else has

 

だそうです。jealousの3の定義なんかは、相手から見て欲しがるものを持っている感覚なんでしょうな。自分の欲望を相手に投影しているとも言えるでしょうか。こういう定義を見てみると、対象への欲望というものが結局はそれを所有する相手を真似したいという欲望の反映だという説を打ち立てたルネ・ジラールさん(でしたっけ。うろ覚え)てすごいなと思うわけです。

そしてここからは私の推測が入るのですが、jealousに関しては若干enviousより必死感が強い使い方がされるように感じます。本当なら手に入るもののはずが手に入らないというような焦燥感をその語にまとわりつかせているように思うのです。あるいはそれを裏返せば、今この手にあるものはすぐに相手に奪われてしまう可能性があるという感覚でもあります。その証左としてjealousと言う言葉は恋愛関連においてよく使われます。例えばおなじみジーニアス英和大辞典には次のような例文があります。

She gets jealous if I even look at another woman.

これこそ自分の恋人がするっと自分の手からすり抜けてしまうという恐怖を感じさせる例文ではないでしょうか。また、シェイクスピアの時代(大体16~17世紀)にjealousと言う言葉が嫉妬というよりもむしろ恋愛における疑いを示す語として使われていたこともこの語が隠し持つ恐怖を示しているように感じます。

対照的にenviousにはじっとりとした憎しみに近い悪意を感じます。イメージ的には壁から半分だけ顔を出してこっちをにらんでいるみたいな(笑)

シェイクスピアの時代にはこの語が嫉妬というよりもむしろ悪意という意味で使われていたそうです。

あとは、envyという語は上下関係に対する認識に基づいているようですね。ジーニアス英和大辞典なんかをみると、envyはねたみと同時に羨望の意味もあるそうですが、それは結局、相手よりも自分の方が劣っているという感覚を共有しているからではないかと思われます。

 

とりあえずそんな感じでしょうか。やっぱりOEDが欲しくなってきた(笑)語源までたどるともっと面白そうなのに。

初めての投稿なのに書き過ぎてしまった。続く…のかこれ?